Vol 2.5
スペシャルトークショー
3月16日に行われた「リアル10DANCE舞踏会 Vol.2.5」。
この日最後に行われた「S(スペシャル)公演」では、ともに原作の大ファンである作家の三浦しをん先生と、BL研究家の溝口彰子先生が登場。原作と「リアル10DANCE」の魅力を語りつくした、シャープな視点と愛にまみれたトークの模様をお届けします。
こんだけ熱けりゃ身体も重なる!!
――『10DANCE』の魅力と、
「リアル10DANCE舞踏会」の尊さ
対談:三浦 しをん & 溝口 彰子
構成:的場容子
−うわさの「こんだけ熱けりゃ体も重なる」理論とは?−
三浦: こんにちは、三浦しをんです。おじゃまします!
溝口: 溝口彰子です、今日はよろしくお願いいたします。
三浦: それにしても、びっくりしましたね。私たち、こんな立派な娘を期せずして産んでいたのかと(笑)。
溝口: しかも共同で!……あ、すみません突然(笑)。さきほど、ダンサーの下田藍さんからお話をうかがいまして。
下田さんは、もともと三浦しをんさんの小説が好きで、しをんさんがエッセイ集『シュミじゃないんだ』(2006)などであまりにもBLをプッシュされているので読んでみたところ、どっぷりハマってしまった、と。
その後、BL好きが高じて「なぜ自分がBLをこんなに好きなのか」ともやもやするまでになり、ダンサーを引退して探求の旅に出なくてはならないかも、と思っていたところに私の『BL進化論 ボーイズラブが社会を動かす』(2015)が出たので読んでみたら、もやもやに対する答えが全部書いてあってすっきりした、という。
だからダンサーを引退しなくてすんだし、「リアル10DANCE舞踏会」を企画することもできたわけで、私たちふたりを「まさに“生みの親”です」とおっしゃってくださったのです。
三浦: ありがたい限りです。私、今日はじめてダンスを生で拝見したんですけど、むっちゃ興奮したわ(笑)。
溝口: ねー!
三浦: 最高ですね。では、さっそく『10DANCE』の魅力についてお話ししていきたいと思います。『10DANCE』の素晴らしいところは、ひとことで言えば「こんだけ熱けりゃ体も重なる」理論が実現されているということですね(会場からいっせいに拍手)!
スポーツや芸術など、ふたりがひとつの目標を一生懸命に追い求めている、もしくはそれを巡って争っていれば、必然的に情熱だって天井突破で高まるので、そりゃもう身体も重なって当然だろ!という理論です。
溝口: (笑)。『10DANCE』のように、熱いライバル同士が体も重なっていくスポ根作品というのは、実は商業BLではほとんどないですよね。
三浦: 今まで皆無だったと言っていいのではないでしょうか。ただ、同人誌などの二次創作では、「こんだけ熱けりゃ」理論の作品は、めんめんと描かれてきた歴史があります。
溝口: 三浦さんがどハマリした『HiGH&LOW』もその歴史に連なるということでしょうか?
三浦: いや、それはどうでしょう。確かに『HiGH&LOW』も情熱に満ちた作品ですが、身体は重なってないですからね(笑)。
「こんだけ熱けりゃ」理論ですけど、たとえば「週刊少年ジャンプ」からは、色んな作品が二次創作されて久しいですよね。あれは多分、「こんだけ熱けりゃ体も重なる」理論、つまり「もう、このふたりはデキていてもおかしくないと思う!」という気持ちを、おもに女性たちが自分たちの筆で実現させたものだと思うんですよ。ただ、同人誌の場合は、たとえば作品のテーマがバスケットやサッカーだとしても、競技に関する具体的な部分は端折って、ひたすら人間関係のところだけ描いてもいいわけです。
井上佐藤先生のすごさは、「競技自体が熱いということも描きたい!」とお考えになり、実現してしまったことです。これは相当の画力とストーリーテリング能力がないとできないですよね。オリジナル作品として、競技部分もご本人が描いているからこそ、「体も重なる」部分の説得力も増します。画期的ですよね。
溝口: おっしゃるとおりだと思います。今回、あらためてコミックスのあとがきまで詳しく読み返したのですが、井上佐藤先生はデビューしてすぐに『10DANCE』のプロットを出版社に持ち込んだけれど、当時の編集さんからは「長すぎる」と言われたので、ずいぶん後になって作品化したと書かれていました。つまり、作品の構想は井上佐藤先生の中に最初からあったということですよね。
三浦: 情熱を感じますよね。それから、競技ダンスというテーマの特性上、当然女性のパートナーがいるわけですが、作品では男性だけではなく女性の思いやドラマもきちんと描かれていて、非常に胸打たれます。女性が決してないがしろにされていないというか。
溝口: そうなんです。女性キャラクターたちも単なる脇役じゃなくて、ちゃんと性的な主体として描かれています。これは、実は近年のBLで出てきた特徴なんですね。商業BLジャンルの黎明期、1990年代の作品だと、作者も読者も自分たちが女性であることを忘れて楽しみたいから、女性が出てきようのない「山奥の全寮制の男子高校」などを舞台にしていました。
三浦: 男だけの楽園ですね。
溝口: まさにそうです。BLは、そこで男性たちに「攻め」と「受け」というパートを割り振ったわけです。この「攻め・受け」は、男性と女性の役割、つまりより男性的なキャラがセックスにおいて挿入する側で、より女性的なキャラが挿入される側ということで、BLの黎明期では多くの作品が、男性キャラ2人に異性愛の模倣を演じさせていました。
けれど、どうやらそのうち、作者や読者のなかで、受けキャラに演じさせている「女らしさ」のうち、「ここは必要ないのでは?」ということに気付く人たちが出てきました。
−カップリング文化の背景にあるのは、女性の「対等でありたい」という願い−
溝口: それに加えて、2000年代以降の作品では、もちろんBLなので女性キャラが主役ということではないですが、脇役として女性が登場したときに、性的主体として振る舞うキャラも出てきます。『10DANCE』では、鈴木が女性パートナーであるアキちゃんと出会ったのは……、
三浦: 鈴木が7歳、アキちゃんが5歳のときですね。
溝口: で、ふたりは鈴木が16歳のときに付き合っていたという過去もあるけど……、
三浦: 8か月のあいだヤリまくったら、なんかストンとどうでもよくなったそうです。
溝口: ……しをんさん、細部までの記憶力がすごい(会場から拍手)!
そう、「ストンとどうでも」よくなったんですよね。『10DANCE』では、鈴木と女性パートナーのアキちゃんは過去に恋愛関係にありましたが、今現在では、ダメな彼氏のDVに遭ったアキちゃんを、元カレ・元カノとして、鈴木が叱りながらなぐさめるといった関係性に変わっています。そうした、固有のドラマを持つ女性がしっかり描かれています。
『10DANCE』は、このような性的主体としての女性キャラクターと、これまで二次創作との抱き合わせでなければ実現できなかった「こんだけ熱けりゃ」理論とが同居している点が、あらためてすごい作品ですよね。
三浦: 本当にそうですね。溝口さんは、ご著書の『BL進化論』で、これまでBLがどのように変遷し、進化してきたかという問題について、非常に詳しく論考されています。それを読んで私が思ったのは、同人誌も含めて、なぜ女性たちが「こんだけ熱けりゃ体も重なる」お話をずっと描いてきたかというと、やはりそこには「男性と対等でありたい」という、少女マンガの時代から一貫して追求されてきた問題があったからなんだなということです。これは、女性にとって非常に切実なテーマです。女性がパートナー――男性であれ女性であれ――と、同じ人間としていかに対等に、お互いを認めあって、この社会で生きていくか。そういうテーマを追求したいときに、BLや「こんだけ熱けりゃ身体も重なる」理論は、お話のフォーマットとしてとても有効なのだなと。
たとえば、少年マンガはほぼ100パーセント男性が主人公で、おもに男性の活躍を描くものですよね。女性の読者からすると、作中の男性たちは「対等なパートナーシップを築いている」と感じられ、「こういう関係性っていいな」と憧れるのですが、女性であるがゆえに作中に参入しにくい。そこで登場するのが「こんだけ熱けりゃ」理論で、二次創作として「対等なパートナーシップを築いている男性同士に恋愛関係も付与する」ことで、女性も主体的に作品に参加できる。カップリングを描くという文化は、女性たちの「対等なパートナーシップ」への憧れと熱い思いから始まったのではないかと思います。
溝口: はい。そしてそのプロセスで、男性キャラたちは女性二次創作者にとって、彼女たちと反対の性別の“他者”であるだけではなく、その“代理人”である次元も獲得していく。
三浦: なので私は、少年マンガと少女マンガをなんとかして融合させたいという女性の思いこそが、カップリング文化の原点だと見ています。それがようやく、井上佐藤先生の『10DANCE』という一からオリジナルのマンガとして描かれた作品で、見事に結実したということではないでしょうか。長い道のりでした……ついにやり遂げたんですよ、我々は!!
一同 : (拍手喝采!)
三浦: そして、こうしてみんなで集まって、プロのダンサーさんたちによるダンスを観て、実際のダンスの素晴らしさを体験して、楽しんで――もう、なんていい世の中なんだろうと思いますね(笑)。いいこと尽くしです。
溝口: 本当にそうですね。原作もとても素晴らしいですし、その優れた原作があったからこそ、「リアル10DANCE舞踏会」という催しがあるわけですから。
−踊ることで、観ることで、
他人の人生を「生きる」こと−
溝口: この舞踏会がいかに良い催しか、さらに力説したいと思います。
原作ファンにとって、2.5次元ではないけれども、原作の世界観がより肉付けされて楽しめる機会を与えてもらえるのはもちろん喜ばしいですよね。そして、実際のプロのダンサーの方たちが、女性同士や男性同士のペアを組んでガチで踊るのも、素晴らしいことだと思います。
というのは、やっぱりご自分の身体を通して体験することで、もし「男同士なんて気持ち悪い」と、かつて思っていた方がいたとしても、考えが変わると思うんです。
三浦: 本当にそのとおりだと思います。表現することと、自分のセクシャリティとは全く別だと思いますが、でも身体を使う表現であるからこそ、自分とは立場が違う他者にも、より「なれる」。そうした経験をする人も、またそれを観る人も、身体を通した表現によって自分と違う人生を体験することは、想像力を広げることにつながります。自分とは違う人がいるという当たり前のことに、また気付くことができるのです。
溝口: そうですよね。話がちょっと広がりますが、演劇の世界では1990年代ぐらいから、ゲイを描いた演劇をノンケ(異性愛者)の若手イケメン俳優が演じる企画が出てきました。代表的なのは『真夜中のパーティー』などですね。だけど、この頃のそういう作品ですごく嫌だったのが、ゲイを演じる俳優が制作発表などで「いや、僕自身はゲイじゃないですけど」と、いちいち言うことでして。
『真夜中のパーティー』、原題は『ザ・ボーイズ・イン・ザ・バンド(The Boys in the Band)』といいますが、1968年オフ・ブロードウェイで初演された、登場人物のほとんどが男性同性愛者という点が、当時、ものすごく革命的だった作品です。劇作家のマート・クロウリーもオープンリー・ゲイで。1970年に映画化されて、ゲイ映画史に燦然と輝いています。舞台もその後も何度かリバイバル上演されていて、ゲイ男性の存在を可視化する役割をになった非常に重要な作品なのです。
もちろん今見ると、登場人物がすごくホモフォビアを内面化していて、卑屈に感じるシーンもありますが、それは当時のゲイがそこまで抑圧されていたことの反映だし、「恐ろしい殺人モンスター・キャラがゲイだった。だから作中で処刑されて当然」的な悪しき類型表現が多かった時代に、複数のゲイたちの仲間意識などが描かれていることが画期的だった。
それが、日本で上演されるとなったら、いちいち、俳優たちが、「僕自身はゲイじゃないですけど」と言うことで、ゲイの可視化の正反対というか、「表舞台に立つ人間にはゲイなどいないのが当たり前です」とホモフォビアを再強化しているのが本当にいやで。
だから、その後『RENT』『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』『ラ・カージュ・オ・フォール』などの同性愛やトランスジェンダー・キャラを描いたミュージカル作品が次々と出てきても、途中までは冷ややかな目で見ていたんです。……あ、『ラ・カージュ』は80年代からですが。
三浦: ふむふむ。
溝口: だけど、俳優の山本耕史さんが自身で初めて演出を手掛けた『ゴッドスペル』(2010年)*というミュージカルを観にいったところ、すごくよくて、考え方が変わりました。舞台は、新約聖書の「マタイ伝」にある寓話をベースにしたロックミュージカルなのですが、なんというか、クイア**な世界としか言いようがない。イエスとユダと弟子たちがいて、弟子役の俳優さんたちは、女性が男役をやったり、男性が女役をやったり、あるいはロバを演じる人もいる。つまり、男女二元論や種の壁をも飛び越えた世界観が徹底された、すごくいい舞台だったんですね。
それで、彼はなぜこんなに素晴らしい舞台を作れたのだろう?と考え、まず、『ゴッドスペル』に出演していた友人、松之木天辺さんにきいてみました。すると、山本さんは稽古のときに、出演者たちがアドリブで出す色々な案をどんどん採用されていったとのことで。そんな制作過程もあって、男女二元論ではない不思議な演出が生まれたのかな、と思いました。
そして、山本さんって、それこそ、『ヘドウィグ』で2007年から3年連続で、「怒りの1インチ」が股間に残ってしまったトランス女性役で主演を張っていたり、『RENT』ではゲイの役も演じている方です。かつ、山本耕史さんがゲイじゃないことはよく知られていることですよね。
(*正式タイトルは、“Team YAMAMOTO presents ロックミュージカル『GODSPELL ゴッドスペル』”)
(**「クィア/queer」は、もともとは男性同性愛者に対する強烈な蔑称だったが、1990年ごろから、「ゲイ」「レズビアン」あるいは「LGBT」といった用語以上に、根本的に性別二元論や異性愛規範に異議をとなえ、時に生存のために戦闘的態度をとる姿勢をも示唆する、肯定的な言葉として用いられるようになった)
三浦: なるほど、すごく画期的な舞台だったんですね。
溝口: だから、山本さんの例のように、ゲイやトランスジェンダーの「役」ではあっても、自分の身体を使って、ガチで何年も真剣に演じてきた経験が、自身が演出をする際に世界観に影響を与えてジェンダーを超えることがあるのかも、と気付いたんです。そこから、ゲイやトランスではない人がゲイやトランスを演じるときに、冷ややかな目で見るのはもうやめよう、と考えを改めました。
それ以降は、「三浦春馬が『キンキーブーツ』主演? いいじゃない!」なんて思うようになって(笑)。演劇とダンスはまた違うとは思いますが、そうした文脈からも、この「リアル10DANCE舞踏会」は素晴らしい試みだなと思っています。
−ぶっ飛んだ「ゲイとレズビアンのカップル」ベーメル夫妻について考える−
三浦: 本当にそうですね。『10DANCE』のような創作物を通して、あるいは実際に競技ダンスや舞台を見ることで、自分では経験できないことや、実感を抱きにくかったことについても、想像したり我がことのように考えたり感じたりできるようになる。
それと、競技でもなんでも、ひとつのことに熱くのめり込む姿に、みんな胸を打たれるんだと思います。フィクションであっても、描写の力によって「この人、めちゃくちゃリアルだし、こういう人が現実にいてもおかしくないかも」と思えることが、世界が広がる第一歩かなとも思います。『10DANCE』はそれを見事に実現してくださってますよね。
そうだ、『10DANCE』には、ラテンダンスの世界チャンピオンカップルで、「ゲイとレズビアン」で結婚しているベーメル夫妻が登場しますが、このふたりについてはどう思われますか?
溝口: この『10DANCE』の世界ではあり得るのかなとは思いながらも、ゲイとレズビアンが友情結婚じゃなくて、性愛も込みの結婚をしているというのは、実感としては納得しづらいです(笑)。もともと自分はヘテロだと思っていた人が同性に惹かれるというのはあり得ると思うんですよ。なぜなら、「自分はヘテロセクシャルであるという自覚」って、色んな試練を経てそのアイデンティティに至るわけではない人も多いから。
三浦: そうですよね。世間では「男は女、女は男を愛するもんだ」とされているから、あまり深く考えずに異性と付き合ってきたという人は結構いると思います。
溝口 : ただ、「自分はレズビアンだ/ゲイだ」というアイデンティに関しては、すごく若い人ならまだフラフラしていてもおかしくないですが、明らかに成熟した大人のレズビアンとゲイとなると、そこだけはちょっと……(笑)。
三浦: まあ、『10DANCE』の世界であれば、こんだけ熱けりゃ体も重なりますから(笑)。それから、「好きになっちゃって結婚した」とは言っているけど……、
溝口: あ、そうか! 結婚はしているけど、セックスしているとは言っていないんだ。
三浦: そう。そこはやっぱり、性別やセクシャリティの組み合わせは関係なく、それぞれのカップルの事情があるでしょうから、実際のところは余人にはわからない部分ではありますよね。
溝口: まあ、同志意識の延長上にある結婚かもしれないですしね。
三浦: こんなふうに現実と照らし合わせて、「こういうこともあるかな? どうかな?」と考えを巡らせるともできるし、なによりも作品の中では非常にリアリティがあるのが、すごいし素晴らしいことですよね。
−総合的視覚表現である
マンガだからこそできること−
溝口: あと私が思うのは、マンガを読んでいて、読者が想像しやすいようなかたちで「音が聞こえてくる」と、表現として強いなと思います。『10DANCE』の場合は、私はとくに、鈴木が英語でしゃべったらすごくラテン訛りだというエピソードに、想像をかき立てられました。
三浦: キューバ生まれだということで、英語の発音が舌足らずなので、英語でしゃべると日本語のときとは打って変わって、かわいく聞こえてしまう、ということでしたね。鈴木が英語でしゃべっているセリフだけ、ハートが飛び散ったかわいい吹き出しになるのもいいです。
溝口: 私、「鈴木の英語はどんなだろう?」って、すごく等身大に想像しました。アメリカに留学していたときにクラスメートだったブラジル出身の子の英語はどうだったかな?とか思い出してみたり。
そういえば、いま連載中の中村明日美子さんの『同級生』最新シリーズ「blanc(ブラン)」でも、主人公のひとりである佐条の入院中のお母さんが、消灯が早いから音楽を聴きたい。昔自分が友達と好きな曲をテープに入れて交換したように、草壁くんの選んだ音楽が聴きたい、と、お見舞いに来た佐条の恋人の草壁に頼むエピソードがあって。草壁は「CD作りますよ」って引き受けるんですよね。
草壁はバンドをやっているコですが、私がマンガを読んでいて彼のギターの音が聴こえることはないんです。それはたぶん、私がギターを弾くことができないからで、「CDに好きな曲を詰める」という自分でもできそうな身近なことだと、「どんな音楽を選ぶのだろう?」と想像が広がって、音が聴こえてくるような気がします。
そういう意味で、『10DANCE』でも、各話のタイトルがダンスの曲名にちなんで付けられたりしていますが、実際のダンスシーンを読んでいても、曲を知っている方は頭の中で音楽が流れているんでしょうね。
三浦: そうでしょうね、ダンスや音楽にお詳しい方がうらやましいです。今日ダンスを生で拝見して思ったのは、『10DANCE』を小説で描こうとしても無理で、やはりマンガでないと表現できないということです。小説でこの世界を描こうとしても、魅力を伝えるのは至難の業だろうなと。溝口さんがおっしゃったとおり、活字以外の情報――吹き出しをどうするかや、効果音の手書きの文字をどうするかなどを含め、洗練された総合的視覚表現であるマンガでないと、ダンスの身体性やリズムを十全に表せない気がします。
溝口: そうですね。三浦さんは『風が強く吹いている』(2006)で、箱根駅伝を目指す陸上部というスポーツの世界を説得力のある小説にされましたけど、ダンスはまた別ですよね。走る競技だと、それほどフォームの描写が細かくなくても成立しますが。
三浦: ダンスは、実写でも役者さんが相当踊れないと成立しないですよね。もちろんダンスをテーマにした実写映画は、過去にも『シャル・ウィ・ダンス』(周防正行監督、1996年)などがありましたが、やっぱりマンガやアニメのほうが表現はしやすいし、魅力を伝えやすいですよね。
溝口: 『10DANCE』の実写ドラマがもし可能だとして、ビッグ・バジェットのハリウッド映画で、運動神経が並外れた役者さんが丸一年くらい練習すれば、もしかしたらある程度説得力を持つかもしれないけど、日本映画じゃ無理そうですね(笑)。
三浦: 無理でしょうね。日本映画だと準備期間がどうしても短くなってしまうから。ダンスの世界でプロデビューする覚悟でレッスンに取り組まないと、この超絶技巧は体得できないですよね。
−「クカラチャ」の衝撃−
三浦: 今日、とくに驚いたのが、クカラチャ。いやホント、こんな動きをする人間、初めて見ました(笑)。
溝口: でしょ!? 私、前回の「リアル10DANCE舞踏会 Vol.2」(2018年6月開催)から観ているのですが、そこでクカラチャを見たときに、「うわー! どうなっているんだろう!?」って、心からびっくりしました。*
*クカラチャ:3歩で構成されるルンバの基本ステップ。一歩一歩で行われる体重の移動によるヒップの動きは別名エイトロールとも呼ばれ、ラテンダンスの基本動作が凝縮された動き。『10DANCE』1巻53~56ページで鈴木が詳しく説明中!
参考動画:TOMDANCE ch.(東海林先生)
【社交ダンス】クカラチャ解説するよ〜!https://youtu.be/gHmeiEErM8A
三浦: あの歩きかたの人を道で見かけたら、びっくりして腰が抜けますよね(笑)。
溝口: イベント後、YouTubeで、海外の方がクカラチャのレッスン方法を図解しながら解説している動画を見たんですが、それでも意味がわかりませんでした。
……というところで、そろそろお時間ですが、攻男社のT中さん、付け加えるべきことがありましたら。
T中: ないです(笑)。といいますか、今日はイベントのことをたくさん褒めていただいたので、これは次回やそのさらに次もイベントを続けないと、と思いました(会場から拍手)。
三浦: またやってほしいです!
溝口: 私も熱望します。そして、本日の見どころのひとつ、同性同士のダンスは我々のトークのあとなんですよ。
三浦: 大変なことや!
溝口: 本当に大変なことなんです。前回のイベントで拝見したあと、すぐにツイッターでわーっと感想を述べましたが、実は、前回のイベントに来る前は若干不安もあったんです。なぜかというと、「腐女子ってこういうのを見たいんでしょ?」感があるイベントも、世の中にないわけではないので。
三浦: 一番腹が立つやつね(笑)。
溝口: 「そういうのだったらどうしよう」と思っていたら、全然違って、生ぬるい「てへっ やっちゃいました」感もゼロ。通常は男女で踊るダンスを、ガチの男性同士で踊るんです。女性のパートを男性が踊るのは、きっとすごく大変ですよね。そんな本気の芸術作品を今から観せていただくわけです。
三浦: 楽しみです!
溝口: また世界が広がりますね。
三浦: 本当ですね、どうしよう(笑)!
三浦 しをん
(左・小説家)
2000年、『格闘する者に○』でデビュー。06年『まほろ駅前多田便利軒』で直木賞、12年『舟を編む』で本屋大賞、15年『あの家に暮らす四人の女』で織田作之助賞を受賞。その他の著書に『風が強く吹いている』『ののはな通信』『愛なき世界』など。『あやつられ文楽鑑賞』『本屋さんで待ちあわせ』などエッセイ集も多数。
溝口 彰子
(右・ビジュアル&カルチュラル・スタディーズ研究者)
ファッション、アートの仕事とレズビアンとしてのコミュニティ活動を経て、アメリカNY州ロチェスター大大学院でPhD(博士号)取得。
著作『BL進化論ボーイズラブが社会を動かす』(2015)、『BL進化論〔対話篇〕 ボーイズラブが生まれる場所』(2017)の2冊が「2017年度センスオブジェンダー賞特別賞」受賞。